書きたいことがなかった訳ではないが、じゃあ書こうかと書き出してみれば、その必要はないような気がしてパソコンを閉じる。そんな日々を過ごし、気がつけば一年以上経過していた。
書くことで自分の気持ちを整理したり、それを書いた端から、または時が経ってから客観視することで、気づくことがある。
その必要がないから書かなかったのだけれど、またそんな作業をしないといけない時期が来た。
時期という言葉は正しくない気がするのだけれど、ぴったりの言葉を選び出せない憂鬱。
祭りの出店、「宝釣り」で、大人買いしている光景が目に浮かぶ。
手元には無数の紐があり、その先には何かしら「お宝」がくっついているはずなのだが、私の選ぶ紐の先には何もないどころか、「憂鬱」がくっついている。
これも、これも、更にこれもお宝じゃないのだから、もう笑うしかない。
と、今この日記を携帯で書いているのだけれど、本当に腹立たしい。
携帯は便利だけれど、あまり好きになれないのは、初めて持ったその日から変わらない。
それでもやっぱり、なかなかパソコンの前に座る時間が取れない今、携帯がなかったら書けないのだから、感謝すべきか。
ケータイさん、ありがとう。