深夜の散歩が好きでした。
始めは入谷のマンションを偵察に行くとか、隅田川の向こうにある焼き肉屋へ行くとか、目的があったはずなのに、いつの間にか目的を忘れ、深夜の街に夢中になっている。そんな時間が大好きでした。
女子がひとりで深夜の街を満喫するのは至難の業です。例えば心配そうなお巡りさん、速度を緩めて品定めをする車、走って逃げるしかない酔っ払い。様々な敵や味方がいて、街が発する以外のたくさんの雑音を聞き、無駄に振り向かなくてはいけないのです。
だからこそ、立ち止まる、歩きたい速度で歩ける。そんな当たり前の事が、とても価値あるものでした。
散歩はバランスが大事だと思うのです。
話す時間と街を味わう時間。
今日の仕事や昨日のテレビの話は、出来ればしたくありません。
隅田川に掛かる橋は全て形が違うとか、浅草十二階という建物がこの辺りに存在したとか、例えばそんな豆知識。
眠らない鴉を見て「芝居で鴉の羽根が必要で、捕獲しようかと思った」例えばそんな昔の笑い話。
帰り仕度の泡姫を見て「吉原に心惹かれ、導かれてる気がする私の前世は花魁じゃないかと思う」例えばそんな妄想。
そんな風に街を味わいながら、話す事が出来たら。それは最高に価値のあるものだと思うのです。
言葉の選び方、過去に選び取った何か、これから選び取るであろう何か。それらが似てないのに、どこか似てる。似てるのに、どこか似てない。
それは今でも何ものにも代え難いと思ってますが、それ以上に相手の言葉を受け止める強さや懐の深さが重要だと思うのです。
存在そのものに価値を見出してくれた人は、耳に心地良い言葉だけではなく、愚痴も、弱音も、我が儘も受け止めてくれるものだと思います。
言葉は永遠であり、時間は永遠ではありません。たくさんの言葉を確かな誰かに届け、生きた証を残して欲しい。それが私の願いです。
そんな事を思う9月4日。
Happy birthday dear K.